大相撲の異常な「女人禁制報道」に見られるメディアの深遠な謀略

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平成30年4月4日、京都市舞鶴市でおこなわれた大相撲春巡業の土俵上で突然市長が倒れた。

この緊急時の対応で女性が救護のために土俵に上がった。

しばらくして館内アナウンスが「女性は土俵に上がらないでください」「土俵から降りてください」と放送したことが物議をかもした。

相撲協会も対応が不適切だったと謝罪し、この件はこれで終わるのかと思っていた。

ところが、メディアはこの対応を「命の軽視」「女性蔑視」「時代錯誤」と連日に渡り叩きまくった。

そして、ほとんどすべてのコメンテイターが協会の対応を批判した。

ネット上でもほとんどすべての人が批判に回った。

僕は日本列島が一色に染まった気がした。

多くの人が集団催眠にかかっている気がした。

メディアが一色に染まる時は注意が必要である。

メディア報道も一段落したようだ。

少し頭が冷やされたであろう、このタイミングでこの問題を論じたい。

断っておくが、僕は相撲協会の人間でもないし、100%擁護するつもりはない。

ただ、メディアの連日の報道姿勢に少し違和感を覚えているだけである。

 

果たして人命軽視の対応だったのか?

メディアが非難しているのは、まずはこの部分。

「女人禁制の伝統を守るあまりに人命軽視をした。」というのである。

果たして本当なのか?

メディアが流している動画を観ると、確かに女性が土俵に上がっている時に「女性の方は降りてください」というアナウンスが流れている。

しかし、メディアの報道の常は「動画は切り取って使う」である。

どこか切り取られているのではないか?

実はオリジナルの動画が youtubeにアップされている。

まずはこちらの動画を確認して頂きたい。

こちらを観ながら検証すると、やはり切り取られているようだ。

今回は時間軸で切り取らず、ある部分の空間軸が切り取られている。

なんとまぁ巧妙な切り取り方である。

局によっては映っているケースもあるが、この部分には全く言及がない。

そのため視聴者も気がつきにくいだろう。

動画を少し解説しよう。

動画が始まってから13秒経過した時に、ひとりの女性が土俵にあがった。

そして、男性陣をかき分け心臓マッサージを始めた。

その後、22秒時にもう一人の女性も土俵に上がり、交代で心臓マッサージを行う。

この初動対応では、土俵に女性が上がって手当をおこなっている。

この女性の証言では「土俵に上がっていいですか?」と関係者に尋ね、快諾を得たとしている。

もし、本当に人命よりも伝統を重視していたなら、この初動対応時に女性を土俵に上げることはなかったのではないだろうか?

あるいは、このタイミングで館内アナウンスをしていたことだろう。

そう、相撲協会は伝統より人命を優先したことは明白である。

そして、37秒時に注目である。

この時、手前から他の二人の女性が土俵にあがるべくやってきている。

多くの人がこの手前の女性に注目していただろうから気がつかなかったかもしれない。

同じタイミングで左手の花道奥から呼び出しらしき人物がAED(自動体外式除細動器)を抱えて走ってくる姿が確認できる。

大相撲女人禁制問題

 

この部分がテレビ報道ではカットされている。

もしくは女性を編集で丸などで囲っていて視聴者の視界に入らないようにしている。

AEDと二人の女性がほぼ同時に土俵に到着し、そのタイミングで例の館内アナウンスが流れている。

心筋梗塞の場合、1分1秒でも速くAEDを使用することで助かる確率が高まるそうだ。

3分以内にAEDを実施すれば7割以上の命が助かる。

呼び出しがAEDを土俵に持ち込んだ時間が動画が始まって48秒。

土俵上では一刻も早くAEDを実施する必要があったのだろう。

AED到着後に警察や消防の人たちも駆けつけ、土俵上は人であふれている。

心臓マッサージはこの時点では役目を終えていたのだ。

その土俵上の混乱を整理するためにも館内アナウンスが流されたと思われる。

この応急処置に対して動画を観た専門家が心臓マッサージを行った女性の完璧な対応を絶賛。

土俵上では伝統よりも人命重視で救命活動が行われたとみるべきではないだろうか?

テレビメディアは一方的な情報を流しているが、産経新聞によると協会(ここでは巡業の実行委)の見解が掲載されている。

「実行委は、女性が応急処置をしている間はそうしたアナウンスは聞いていないとしている。」と。

産経ニュース2018.4.4参照

何より完璧な初動対応を行った二人の女性は讃えられ表彰されるべきだ。

しかし、当人たちは「普通のことをしただけだ。そっとしておいて。」とお断りしているそうだ。

もしかしたらメディアの加熱報道に対して向けられた言葉かもしれない。

たいへん残念である。

ひとつ初動対応時にまずかった点をあげれば、やはり館内アナウンスはするべきではなかったであろう。

当人たちにそっと耳打ちしてお願いするべきだったのではないだろうか?

協会によれば、若い行司が観客に促されてアナウンスしたのだとか。

だとすれば、館内アナウンスは協会の意思ではなかったということである。

しかし、独自の判断であろうが若手であろうが行司がアナウンスしたことは協会の意思ととられても仕方あるまい。

それ故に協会は対応が不適切だったと謝罪を行ったのだろう。

また、仮にアナウンスがなければ協会としては緊急時の対応で女性が土俵に上がったことには経緯を見守るという態度だったということだろう。

土俵に女性が上がった事例は過去にもあったようだ。

女相撲の力士が栄誉の為にあげられたのだ。

実は相撲協会は女人禁制を頑なに守るというより柔軟に対応して来た証であろう。

それを執拗に人命軽視、女性蔑視の議論に持っていきたがるメディアは、僕には異常に見えるのだがどうだろうか?

 

「女性蔑視」の議論は成り立つのか?

土俵が女人禁制であることをメディアは「女性蔑視」の観点で連日バッシングを続けているが、ここにこそ違和感を覚える議論である。

女人禁制は女性蔑視なのだろうか?

メディアはいつも男女の垣根を取り去ることが時代の最先端であり正義だと思い込んでいるようだ。

本当にそうなのか?

大相撲は男の世界である。

しかし、相撲自体は女性にも開かれている。

僕の知り合いにも女相撲をやっている人はいた。

すなわち男相撲、女相撲とふたつの相撲、ふたつの土俵が存在するのだ。

女相撲の存在を挙げて土俵の女人禁制は伝統ではないと訴えている人たちも存在する。

いやいや、両者は興行主が違い、男相撲の興行主である相撲協会の土俵は女人禁制なのだろう。

メディアはなぜ、執拗に男相撲の土俵の上に女性をあげたがるのか?

男相撲の土俵に女性が上がらないのは女性蔑視ではなく女性を守るためではないのか?

そして、そもそも女性自身は男相撲の土俵にあがりたいのか?

あのよく肥えてお尻を出した暑苦しそうな男ばかりの土俵に上がりたいのか?

極端な話だが、メディアの論調は男風呂に女性を入れたがっているようにも見える。

男風呂は当然ながら女人禁制である。

男と女を区別することが行けないことなら、ゆくゆくは銭湯も混浴が良しとなるかもしれない。

子供の世界では男女混合名簿や修学旅行での男女同部屋など男女の垣根を壊す動きがあるらしい。

なにがなんでも男女同権は本当に進歩的で正しいことなのだろうか?

日本国民が幸せになる方向に進んでいるのだろうか?

逆に考えれば男子禁制は男子蔑視になるのか?

女性専用車両はどうなのか?

女性を守るための女性専用車両は良しとし、女性を守るための女人禁制はダメという理由がよくわからないのである。

かつて知事時代に表彰式で土俵にあがれなかったと太田房江元知事の事例がメディアでさんざん流された。

しかし、太田房江元知事は「何が何でも土俵にあがりたい」と思ったわけではないと手記を寄せている。

◎【太田房江特別寄稿】大相撲「女人禁制」 私の解決策

太田元知事自身は土俵の伝統に一定の理解をしているのだ。

内閣総理大臣が女性であったら内閣総理大臣杯の受け渡しはどうするのだという話もあった。

長年大相撲を観て来たファンのひとりとして言わせていただくと、歴代総理大臣で直接本人が表彰式に出てくることはまれである。

ほとんどの場所で総理の代理人が土俵にあがり、表彰を行う。

それでいいのではないか?

表彰式は優勝力士が主役なのだから総理自ら表彰を行う必要はないだろう。

それより忙しいハズの総理は本来の仕事に専念してほしいものだ。

また、相撲協会は公益法人であり税が優遇されているから、協会は女人禁制を辞めるべきだという人がいる。

いやいや、そこで相撲協会に批判の矛先を向けるのは間違っていないか?

相撲協会に女人禁制があることを知りながら公益法人の認定をされたハズだ。

批判をするなら公益法人として認定した主務官庁に矛先を向けるべきだろう。

 

神事や伝統に理解がない「時代錯誤」議論

ご承知のとおり、大相撲は元々神事であり、近年スポーツ化しているが神事としての伝統は引き継がれている。

横綱には強さだけでなく品格が求められる。

そのため、どんな手段でも勝てばいいとする外国人横綱には一定の批判が常につきまとう。

普通のスポーツと評価基準が異なるわけである。

日本人が営んで来た武道には常に強さだけではない求道者としての精神が求められて来た。

剣道、柔道などと「道」がつくのはそのためだ。

相撲も相撲道なのだろう。

「土俵の神様は女神だから、女性があがると神様が嫉妬する。」

この女人禁制の理由には神話が含まれている。

戦後日本は教育において神話を否定して来た。

だから、森元首相が「日本は神の国」と言ったら辞任に追い込まれた。

神話の時代から連綿と続いてきた日本の歴史がどんどん神話の時代と断絶を強いられている。

本当にこれでいいのか?

神話なるもの、神事を軽視する風潮が特にメディアや教育において顕著である。

時代錯誤と言うが、そもそも頭にちょんまげを結ってふんどし一丁で土俵にあがること自体が時代錯誤なのだ。

女人禁制の修道院や寺院は世界中に存在している。

神事に時代錯誤の批判は的外れなのではないだろうか。

 

異常な「女人禁制報道」に見られるメディアの意図

少し徒然に書き過ぎた。

まとめよう。

とにかくメディアの報道ぶりは来る日も来る日も「土俵の女人禁制」をやめさせたいという意図が丸見えであった。

その過熱ぶりは僕には異常に見えた。

繰り返すが、すべてのメディアが同じ方向を向いて過熱報道をするときには、何らかの深遠な意図があると思わざるを得ない。

違法なことが何も出てこない森友、加計の過熱報道には安倍政権打倒の意図が見え見えであるようにである。

日本の古き良き伝統を差別や時代錯誤で断罪することにメディアにどんな意図があるのか?

少し飛躍しすぎると思われるかもしれないが、僕にはメディアによる「皇室制度の破壊」という意図を感じてならなかった。

皇室が男系で続いていることに異論を持つ人が日本社会に存在しているし、メディアも同調しているように思えるのだ。

案の定、大相撲の女人禁制問題と皇室を同列に論じている人がいた。

あの小林よしのり氏である。

◎女人禁制は伝統ではない

抜粋してみよう。

これ(※大相撲の女人禁制問題)によく似ているのが女性宮家の排除とか、大嘗祭の女性皇族の排除とか、女性天皇の拒否とか、天皇は男系継承しかダメという、皇室に関する男尊女卑思想である。相撲とまったく同様に、明治の文明開化と、神道・仏教の女性蔑視思想がドッキングして伝統だと勘違いされたものに過ぎない。原理主義としての伝統など、日本には存在しないのだ。※は筆者の補足

この議論は非常に危険であり、皇室の破壊につながる議論である。

大相撲の過熱報道を観ながら、僕が最も恐れていたことが彼によって書かれているのだ。

幸い、既存メディアが取り上げることはなかったが、加熱する女人禁制報道の裏には皇室破壊と言う深遠な謀略が潜んでいることに気をつけなければならない。

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