沖縄県うるま市で悲惨な事件が起きた。
ウォーキングに出かけた20歳の若い女性が死体で発見された事件である。
うるま市大田は僕が住むところから、車で2~3分の土地勘がある場所である。
発見の2週間ほど前から、大田在住の女性が行方不明というニュースは小さな扱いで報じられていたので無事を祈っていた。
面識はないが、近くに住んでいることもあり、とても心配していたが、情報が少なかったため、単なる家出かもしれないとも思っていた。
ところが、周知のとおり、彼女は暴行され殺害されてしまっていた。
とても残念であり、彼女の無念の思い、残された家族の無念を思うと心がとても痛くなった。
マスコミと左翼の政治利用が始まった
容疑者逮捕の一報は、全国放送のテレビのトップニュースで扱われた。
沖縄地元紙はわざわざ号外で報じた。
この時点で被害女性の実名が全国にさらされた。
報道のスタンスは常時「米軍基地がある故の犯行がまた起きた」という論調だった。
容疑者逮捕と同時に、待ってましたと言わんばかりの米軍基地反対キャンペーンが狼煙を上げた瞬間だった。
翌日の地元紙も一面トップ。
いや、ほとんどすべての紙面を使って沖縄米軍属の犯罪ネタで占められていた。
他に重要ニュースがあるはずなのに・・・。
「沖縄県民の怒りがピーク」
ん?僕も沖縄県民なんやけど・・・。
もちろん容疑者に対する怒りは相当強い。
なぜ、こんな短絡的な罪を犯したのか?
なぜ、殺す必要があったのか?
残された親族、恋人の気持ちを想像するといたたまれなくなる。
将来のある若い命を奪ったことに、大きな怒りがある。
ただし、怒りは容疑者の罪へ向けられている。
ところが、メディアの怒りは容疑者ではなく、沖縄米軍基地にだけ向けられているかのようだ。
「米軍基地がある故の犯行」とどのメディアも口を揃えて言っているが、この主張には無理があることには気づかないのか?
あまりに乱暴な理屈であることに無頓着過ぎはしまいか?
この理屈が成り立つなら、県職員が起こした犯行は「県庁があるがゆえに起きた」ということになる。
同じ日にちょうど県職員が2件の公金横領事件を起こした。
県庁がなかったら、公金が横領されずに済んだのに。
県庁は撤廃すべきだ。
今のメディアの理屈だと、こんな話になる。
頭がいいだろうメディアの連中は、このおかしな理屈を堂々と述べることに違和感を感じないのか?
感じないとしたら、相当な知的怠慢に陥っているとしか思えない。
感情論が理性を狂わせているとしか思えない。
嘉手納基地のゲート前に怒りを胸に沖縄県民が集まっているらしい。
翌日、実際に行ってみた。
ゲート前には誰もおらず、反対派が残していったと思われる基地の塀に括りつけられたゴミが散乱しているだけであった。
どこかで見た光景、どこかでみた塀のゴミだ。
本当に全沖縄県民が怒っているなら、沖縄全土から人がここに集結し、常に誰かがいるに違いない。
そんな予想に反して、ゲート前はいつもと同じ静けさを保っていた。
いや、いつも以上の静けさだった。
おそらく「普通の沖縄県民」は、彼女の死を悼んで、静かに喪に服しているのであろう。
おそらく、沖縄メディアが辺野古から反対派を、撮影だけのために意図的に動員したに違いない。
なぜなら、嘉手納基地に集まっている、怒っている沖縄県民の映像は、
辺野古移設反対でキャンプシュワブ前に集まっているテント村の人たちと同じ匂いがしたからだ。
本日も緊急県民集会とやらがあったらしい。
沖縄メディアはご丁寧にネットでライブ中継をしていた。
集まっている人たちは手に手に「辺野古反対」「琉球独立」「沖縄労組交通」「国公労」「沖国大」「日本共産党」など無数の旗を持っている。
テレビのインタビューに答えているのは、シールズ琉球の構成員の女性。
何をかいわんやである。
普通の沖縄県民は、そんな旗を目印に集まることはないだろう。
きっと各組織の動員に違いない。
ちなみに主催者発表で4000人が集まったとされるが、現場は58号線沿いにある。
交通規制をかけているわけではないので、集まることができるのは歩道だけ。
想像してみてほしい。
観光で沖縄を訪れたことがある方なら想像可能だろう。
58号線のこのあたりは片側3車線で車の通りが激しい。
車道にはみ出すと危険である。
歩道だけで4000人。
どこにそんなキャパシティがあると言うのだろうか?
おまけに電車のない沖縄で、駐車場もない歩道での集合である。
4000人分の車はどうしたのだろう?
まさか4000人が歩いて集まったというのだろうか?
大型バスに乗り合わせたとしても、バスが100台ほど必要な計算になる。
おまけに平日の昼間に4000人も仕事をほったらかして集まれるのだろうか?
プロ市民ほど、みんなはそんなに暇じゃないだろう。
サヨクはどうしてこんなにバレバレの誇張をするのだろうか?
メディアの動きを追っていると、第一報で「きっと県民大会が開催されるだろう。」と報じていた。
その後、「県民大会の日程が決まりました。」と報じた。
この動きは、まるで、メディアが県民大会の開催を呼びかけ、しかるべき団体が日程を決めたように映った。
つまりは、まるでメディアが率先して、県民世論を沖縄米軍基地反対へ誘導しているかのようだ。
本来ならメディアは冷静に、客観的に事実を報道すべきだ。
事件を煽りに煽り、紙面を特定団体への連絡ツールとして使わないでほしい。
沖縄県民のためのメディアという認識があるなら、特定団体の機関紙のような書き方はやめた方がいい。
必ず、その報いはいつの日か受けることになるだろう。
沖縄米軍の犯罪率は年々減少。綱紀粛正への努力を認めよう
容疑者は100%擁護できない。
何を考えて犯行に及んだのか、僕には全く見当がつかず、本当に腹立たしい限りである。
でも、米軍がまるで100%悪かのような報道はいかがなものだろうか。
容疑者は元海兵隊員とはいえ、現在は民間企業で働く民間人である。
確かに勤務先は嘉手納基地の為、軍属というらしいが、こんな形態で働いている人は日本人にもたくさん存在する。
僕の知り合いもそうである。
もし、軍属でも日本人、沖縄県民の犯行だったら、メディアはどう反応しただろうか?
刑事事件と安全保障の問題は全く別次元の話のはずだ。
実際には米軍の犯罪率は年々減っている。
メディアはその事実を完全に伏せて印象操作をしている。
本当は沖縄県民の犯罪率の方がかなり高いのに、米軍の犯行だけに過剰反応をする。
そこには意地の悪い意図を感じるのは僕だけではあるまい。
犯罪も事故もゼロに近づけるべきだが、努力をしてもゼロになることは正直難しい。
世の中には多種多様の人間がいるのだから、完璧ということはあり得ない。
それでも米軍の犯罪率は年々減少しているのだ。
米軍の綱紀粛清の努力は一定の評価に値しないのだろうか?
容疑者はシンザトという名を名乗っている。
アメリカ国籍とのことだが、日本人妻を持ち、子供もいて、将来は日本永住を目指していたに違いない。
いわば在日外国人ということになる。
基地外に住み、家庭を持ち、基地に通っていた。
米軍組織は、そんな彼の行動を制限するために、彼の首に縄をつけておくべきだったのだろうか?
基地勤務とはいえ、一民間人の行動を、そこまで米軍組織は管理できるのだろうか?
沖縄メディアの紙面がヘイトスピーチ?!
昨日ちょうどヘイトスピーチ法が成立した。
シンザト容疑者は、在日外国人である。
素朴な疑問がある。
ひとりの在日外国人の犯罪を根拠に、所属する米軍基地を日本から出て行けとするのはヘイトスピーチにあたらないのだろうか?
在特会は、在日韓国人の存在が日本の国益に反するため、在日韓国人が通う朝鮮学校の前で「在日は出て行け」とスピーチし、裁判で負けた。
ヘイトスピーチ法がない時代の話だ。
この構図はどちらも一緒ではないか?
どこが違うのか教えてほしい。
僕は在特会の肩を持つわけではない。
少数の在日韓国人の横暴や犯罪を根拠に、在日すべてが悪者とすることは民族差別と非難されても仕方がないことだろう。
在日韓国人にもいい人はいる。
僕の知人にも在日韓国人の方がいるが、とてもいい方である。
在特会と同じように、ひとりの米軍属の犯行を根拠に在日米軍すべてが悪者。
米軍出て行けとさけぶことは、民族差別ではないのか。
沖縄メディアの紙面が、そんな民族差別を率先して行っている。
おまけに、今回の事件は日本の警察が捜査し、犯人を逮捕し、検察に送検した。
日米地位協定とは全く関係のない事件である。
それにもかかわらず、メディアはあたかも日米地位協定を争点にしようと、その片務性をやっきになって取り上げている。
まるで、今回の事件も公平は裁判で裁かれないと印象操作をしているようだ。
すべてを政治問題に結びつけるのはもうやめてくれ。
何かに突き動かされているようなヒステリックは報道は、もううんざりだ。
被害女性は2度殺された!
彼女がウォーキングをしていたとされる通りは、僕もよく知っているのでわかる。
全国の皆さんが想像している以上に真っ暗な通りだ。
日が落ちると何も見えなくなる。犬の散歩もできなくなる。
なぜなら、このあたりは街灯もほとんど設置されていないためだ。
とにかく2~3歩先が見えないのだ。
そんな暗がりを、若い女性がたったひとりでウォーキング。
彼女に1ミリも非はない。
ただ、非難を承知であえて言うと、「自分の身は自分で守る」という教育を受けていないがための悲劇とも言えまいか?
米軍基地があろうがなかろうが、無防備だと犯罪に巻き込まれる可能性はゼロではない。
沖縄県民の犯罪率の方が高いのである。
彼女は日本に蔓延する平和ボケの犠牲者とも言えよう。
米軍基地のせいにする前に、行政は街灯の設置などの対策も検討すべきではないのか?
学校は、ちゃんと「自分の身は自分で守る」必要性を教育すべきではないだろうか?
彼女に少しの防衛意識があれば、防げたかもしれないと考えると、本当に残念でならない。
再犯防止を米軍にだけ依存するのではなく、県民の教育現場でも徹底すべきではないのだろうか?
また、驚いたことにネットの情報によると、反対派が米軍基地前で被害女性の写真を掲げて抗議行動をしているらしい。
彼女は女性の尊厳を踏みにじられたあげくに、人間としての尊厳も命も奪われたのだ。
被害女性の親族は、もうそっとしておいてほしいとコメントしている。
それにも関わらず、反対派は、被害女性の写真を掲げることで、彼女の尊厳を再び踏みにじっている。
女性として辱めを受けたことを、なぜまた、こうしてさらされ続けなければならないのだろうか?
被害女性の無念の思いに心を寄せることができないのだろうか?
写真をかかげているのが反対派の女性に多いのには本当に驚かされる。
昨年、安保法制の反対に女性国会議員がセクハラを武器に身を盾にして国会で通せんぼをしたことを思い出させる。
普段、女性差別を叫びながら、女性を武器にする。
本末転倒だ。
反対派の女性が、ふだん女性の味方のふりをしながら、被害女性の尊厳を踏みにじる。
政治的反対活動の為なら人の死も利用する。
反対派女性によって被害女性は再び殺されたようなものである。
とにかく刑事犯は刑事犯として公正に裁く。
それと米軍基地問題は、まったく別の話でしょ。ってことだ!
米軍は米兵への綱紀粛正と、沖縄県は県民への防衛意識の啓蒙運動を行うことで、お互いに再犯防止に努力することが、この問題の解決策であろう。
被害女性のご冥福を心からお祈り申し上げます。
最近のコメント