沖縄県民の反米より政府の親中が国を売る

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2018年沖縄県知事選挙で玉城デニー県知事が誕生した。

この選挙結果に保守陣営の多くががっくり肩を落としたことは容易に想像できる。

保守陣営の多くの人にとって沖縄県民は反米、反日、親中で国を売ろうとしているように見えるかもしれない。

ネット上の議論もそのような論調が多いように思える。

しかし、一度立ち止まって自身の頭で考えてみて欲しい。

沖縄県民は確かに反米意識が他の都道府県より高いのかもしれない。

それはなぜなのか?

少し想像を働かせると理解できることだと思う。

 

沖縄県民の反米意識が高い理由

たった73年前に沖縄では米軍を相手に地上戦が展開された。

一般住民も逃げ遅れた、あるいは自ら土地と共にあることを選択して逃げなかったために戦闘に巻き込まれた。

沖縄の海岸には数メートル間隔で米軍の艦船が配置され、容赦なく降り注ぐ艦砲射撃は「鉄の雨」とも「鉄の暴風」とも形容された。

多くの沖縄県民の命が失われ、命からがら逃げ延びた沖縄県民も生きた心地がしなかったことだろう。

それだけ狭い沖縄本島で逃げおおせたことは奇跡だったのだ。

本土の方も想像してほしい。

沖縄県民にとって米兵は脅威の対象以外何者でもなかったのだ。

戦争が終わって生き延びた沖縄県民に待っていたのは収容所生活であった。

罪を犯したわけでもない県民が収容所に入れられる。

こんな屈辱が他にあるだろうか。

そして、米軍はそのまま沖縄に居座ることになったのだ。

この沖縄県民の悔しさ、悲しさ、やるせなさ。

想像を絶するものがあったであろう。

多くの沖縄県民が家族、親戚、友人を失った。

彼らを殺した張本人たちが支配者として狭い沖縄本島で同居することになった。

筆者も含めた世代は、この先輩たちの怒りを理解できなくなっているのではないだろうか?

 

沖縄県民の反米意識が国土を守った!

米国は戦後、地政学上重要な地であった沖縄をグアムのように直接統治領土にしたかったようだ。

しかし、そうはしなかった。

正確に書くと、そうしたくてもそうできなかったのだ。

そうできなかった理由のひとつは昭和天皇による潜在主権である。

1952年サンフランシスコ講和条約により日本本土は主権を回復した。

講和条約の草案では「琉球諸島は合衆国を施政権者と国際連合による信託統治」にするとされていた。

昭和天皇はこの草案に対して「施政権は米国に租借するが主権は日本に残す」と提案したのである。

この潜在主権が日本に残ったために20年後の沖縄の祖国復帰が容易になったのだ。

(参照:一般社団法人日本沖縄政策研究フォーラムブログ

 

昭和天皇は共産主義の脅威から沖縄を守るには敗戦後の混乱する日本では難しいとお考えになったのだろう。

そのためにいったんはアメリカに沖縄を守ってもらうことを選択したのだ。

本土が沖縄を切り離して独立を回復したために、沖縄ではこの日を「屈辱の日」としている。

本土から切り離された日であり、本土を恨む日だというわけだが、これは事実と逆さまだ。

切り離したのは本土ではなくアメリカだ。

そして、この日は昭和天皇により沖縄が国連の信託統治を免れた日なのだ。

国連の信託統治になっていたら、今頃沖縄はソ連と中国により切り刻まれ分割統治をされていたことだろう。

「屈辱の日」ではなく沖縄が共産主義の脅威から、そして潜在的にはアメリカから「守られた日」なのだ。

話を戻すと、この日本による潜在主権の存在が、アメリカが沖縄を直接統治することができなかった理由のひとつである。

 

もう一つの理由は沖縄県民の反米意識が沖縄を守ったのだ。

1956年にアメリカの施政権下で起こったのが「島ぐるみ闘争」である。

沖縄県民は反米

島ぐるみ闘争

写真(キャッチ画像含む)引用:ウィキペディア

 

筆者は「島ぐるみ闘争」を、その名称もあって単なるサヨク闘争だと思いこんでいた。

しかし、よくよく考えてその思い込みを捨てた。

アメリカは潜在主権を日本に残したとはいえ、この時点でまだ沖縄の直接統治をあきらめてはいなかったようだ。

琉球列島米国民政府は軍用地代の「一括払い方式」をおこなうことで半永久的に沖縄の土地を取得して使用する方針だったのだ。

これに沖縄県民が島ぐるみで抵抗したのが「島ぐるみ闘争」である。

最大の争点が土地の一括買い上げか土地を貸すことによる地代支払い方式かである。

1956年結局アメリカは「一括支払い中止」を発表し、闘争は沖縄県民の勝利で終わった。

もし、島ぐるみ闘争が敗北し、アメリカに土地を永久使用できる権利が渡っていたら、祖国復帰は難しかったかもしれない。

沖縄県民の反米闘争が沖縄の土地を守り祖国復帰へつながったのだ。

先祖伝来の土地を守った沖縄県民の気概は筆者は日本精神そのものだと感じた。

もう一度想像してほしい。

敗戦した土地で異民族の占領下にあっても決して彼らの奴隷にはならない。

他国を例にするのは忍びないが、ハワイやグアムでこのような抵抗運動はあったのだろうか?

沖縄県民の命を張った抵抗に米政府も沖縄の直接統治をあきらめたのだろう。

 

翻って現代日本と沖縄はどうだろう。

残念ながら沖縄県内の米軍基地が中国資本によりどんどん買われているという情報がある。

北海道の土地も中国資本により爆買いされているようだ。

政府はなかなかこうした事態に重い腰を上げようとしない。

政府や与党の親中意識がそうさせるのか?

筆者たちの先輩である沖縄県民が守った土地が、政府の無策によりどんどん売られてしまっている。

沖縄県民の反米、政府の親中。

いったいどちらが国を売ろうとしているのか?

(つづく)

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