平成29(2017)年8月12日。
「翁長知事を支え、辺野古に新基地を造らせない県民大会」なる左翼集会が開催された。
ちょうど1年ほど前に開催された県民大会も保守系首長が参加を見合わせた左翼集会であったが、元米軍属による暴行殺人事件被害者を慰霊するという名目があり、テレビ中継もなされ、まだ県知事参加の大義はあったかもしれない。
しかし、今年の集会はテレビ中継もない完全に左翼集会であり、県知事参加の大義がない大会であった。
左翼はよく尻尾を出すが、琉球新報がネット上で流しているライブ中継では、大会直前にしきりと各団体に旗を降ろすように注意をしていた。
団体がなかなか言うことを聞かないので、式典がなかなか始まらないのである。
最後には旗を降ろさない団体が名指しで注意される始末。
このくだりは、集会が完全に各団体が全国から集結した左翼集会だと暴露しているようなものだ。
新報が中継しているからには事実に違いない。
そんな左翼集会に喜々として参加した翁長知事はもはやあちら側に行って、行ってしまった~♪ (五木ひろし よこはま・たそがれ風) という印象はぬぐえない。
主催者発表45000人
↑ 共同通信の空撮で捏造数字がバレバレ
翁長知事は保守なのか革新なのか?
2014年11月の県知事選挙当時、翁長氏はほとんどの県民が保守政治家だと認識をしていただろう。
県民は「翁長氏 VS 仲井真氏」の対決は実は保守分裂選挙という認識であったのだ。
仲井真前知事は元々、辺野古移設反対であったが、法に基づいて申請された辺野古の埋め立て許可を承認した。
それは政治やイデオロギーで判断しない法治国家として賢明な判断だった。
しかし、マスコミは仲井眞氏が裏切ったとして、翁長氏を全面支援した。
沖縄の固定保守票は、高齢の仲井眞氏よりまだ若い翁長氏を選択した。
翁長氏は辺野古移設反対を掲げていたが、当時は鳩山政権のちゃぶ台返しのせいで自民党沖縄県連でさえ迷走し、辺野古移設に反対しその後は「辺野古移設を含むあらゆる選択肢を排除しない」と態度をはっきりしていなかった。
そのため、翁長氏は革新票と保守票からまんべんなく得票し、当選した。
その後の翁長氏は「辺野古移設反対」のみを強固に掲げ、法廷闘争に突入。
この頃の県職員への聞き取りでは、翁長氏は保守なのか革新なのかはっきりしない知事との回答を得た。
最高裁で敗訴確定するも、翁長氏は最高裁判決を無視し、辺野古移設は絶対にさせないと明言。
以来、翁長氏が率いるオール沖縄なる奇妙な名前の勢力は首長選挙で宜野湾、宮古島、浦添、うるまの各市長選で4連敗。
彼らが好きな民意がどんどん離れて行っている印象である。
そして2017年4月9日。
自民党沖縄県連はようやく辺野古移設容認を明文化することになった。
オール沖縄は「オスプレイ配備に反対する県民大会」で41市町村のうち、40市町村の首長が参加したことから始まった。
保革一致が実現し、翁長氏が知事選に色気を出し始めたきっかけとなった。
翁長氏はその後に政府に提出した建白書に、各首長の了承なしに「辺野古移設反対」を盛り込み、いかにも県内市町村の首長すべてが反対しているとして、言わば、だまし討ちでオール沖縄を立ち上げた。
オール沖縄は最初から偽装されていたのだ。
ここへきて、ようやくその化けの皮がはがれ、沖縄県民も賢明な選択を行うようになってきた。
写真:沖縄タイムスより転載
そして、先の県民大会という名の左翼集会。
左翼に持ち上げられた翁長氏は、わかってはいたが、とうとう明確に革新知事として馬脚をあらわしたのだ。
沖縄2紙にも持ち上げられ続けている翁長知事。
折しも、本日沖縄2紙の編集局長が共産党の機関紙「赤旗日曜版」に登場し、辺野古反対、翁長知事支持で共闘路線を明確にした。
◎沖縄2大紙の編集局長が「赤旗日曜版」でそろい踏み 共産党と「不屈の約束」(産経新聞)
写真:産経新聞より転載
左翼はよく尻尾を出す話をしたが、驚いたことに尻尾どころか頭まで出してきた。
かねてから沖縄2紙の偏向ぶりはどこかの政党の機関紙だと言われて来たが、共産党の機関紙に登場し、共産党との共闘を明確にするとは分かりやすい。
翁長知事のバックには沖縄2紙と共産党が存在することが明々白々になったわけだ。
これで翁長氏の2期目はないだろう。
県内保守票が翁長氏に投票することはないだろう。
それでも気を引き締めなければならない。
2018年は2月に名護市長選があり、11月は県知事選と重要な年となる。
県知事の人材があまり見当たらないのが不安材料だ。
皆で歌って盛り上げよう。
翁長知事は行って行ってしまった~♪ もう帰らない~♪(五木ひろし よこはま・たそがれ風)
→ 古すぎっ!
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